中流意識を排す


 つい最近、テレビで中流意識なるものの特集番組を見た。

 それによると、現代の日本では、サラリーマンの家庭の約60パーセント以上が、自分の家庭に対して中流意識をもっているという。

 もっともこの中流意識は、必ずしも中流の生活という現実とは別のもので、この特集で中流意識をもっているとこたえた サラリーマンや主婦のなかには、現に夫婦共稼ぎのものや、つい最近ローンでマイ・ホームを買ったばかりのものたちがかなりの数にのぼるらしいということで あった。

 ところで、この番組を見ていて、私は、おや、と思った。

 番組のなかでもいっているように、むかしの中流階級とは自分の家を持ち、それなりの蓄えも持ち、番組のなかで識者が いっているところによれば、その家の当主が事故なり病気なりで突然倒れても、その息子の代、孫の代くらいまでは生活に困難を来すことのない程度の資産を 持っている階級のことをいうのだそうであるが、現にそうした状況からははるかに遠い生活を送っている人々が、何故自分を中流だと思うのか、私にはその辺が 何ともけったいなことに思えたのである。

 私は、中流階級が番組のなかで識者がいっている程度の資産を持っている階級である、ということが、果してどのような規準から生まれたのか、それは知らない。

 またこの規準からいえば、その番組の対象者のほとんど九割までが中流階級以下の生活水準である、ということも、ここでは度外視しようと思う。

 ただ、ここで私が、おや、と思ったことは、彼らが現実に中流であるか否かではなしに、彼らがその中流意識に奇妙な満足感を抱いていることに、奇異な感じを持ったということなのだ。

 私たちは、そのむかし、この中産階級のことを、プチ・プルと呼んだものだ。

 このプチ・プルは、そのプチさ故に、労働者階級からもどっちつかずの階級と馬鹿にされ、また資本家からも妥協しやすい相手と軽く見られるような、どっちつかずの階級であった。

 その軽蔑が、つまり<プチ>という言葉に、もっとも適切に表現されていたわけだ。

 このプチは、いわばプチ満足のプチであり、それが私たちには、人間的にいかにも惰弱で、理想も何も持たぬプチ人間のような印象を与えたのだ。

 だが、その中流意識が、何でいまの日本にそれほど蔓延したのだろうか。また、どうしてその中流意識に、いまの日本人が嫌悪感をではなく満足を感ずるようになったのか。

 おや、と思ったとき、私には正直それが、何とも今の日本の現実を象徴しているような、いや、その現実の深部を思わずのぞかせたような、いやな予感を私に感じさせたのである。

* * * *

 あるいは、人々は、ごく簡単に、この中流意識は日本人の<事なかれ主義>から生まれた、といって片づけてしまうかも知れない。

 たしかに、この中流意識は、ある意味では<事なかれ主義>の裏がえしである、ということも出来るだろう。

 しかし、必ずしも<事なかれ主義>は、日本の専売特許ではない。

 その事なかれ主義の背後には、日本の経済の繁栄や、また科学の進歩という事実もある。

 ひとむかし前の生活といまの生活との比較が、中流意識を生むということもあるだろう。

 中流意識は、あくまでも中流という生活ではなく、中流という意識の問題であり。それらのものが、よってたかって中流という意識を生む、それは十分にありうることである。

 だが、問題は、それだけではない。

 問題は、中流意識は、いまの日本の現実のあらゆる分野に、目に見えぬ意識として潜り込んでいる、ということである。

 むしろ私には、戦後日本の社会は、政治の分野においても、この意識を養い、造り出すことに汲々として来たようにさえ 見える。経済の繁栄だけが唯一の幸福のようにいう政治がそうであり、会社の繁栄のために公害をかえりみない大企業がそうであり、そしてまた人々の関心のみ を追うジャーナリズムがそうであり、何の理想像を持たぬ教育もまたそうである。

 この中流意識とは、必ずしも中産階級の意識ではない。

 テレビの特集でもいっているように、それは中産階級の意識ではなく、人並み意識である。

 政治は人々に人並み意識を与えることによって、自らの安泰を計る。

 経営者もまた労働者に人並み意識を与えることによって、会社大事の精神を計る。

 ジャーナリズムが人々に与えるものも、人々の人並みの感覚に対する知識である。そして教育は、人並みの人間を養うことが何よりの目的でもある。

 つい最近、先生に叱られ自殺した小学生の記事があった。

 この小学生の作文には「人間とは何だろう」という疑問が絶えず顔をのぞかせていた。小学生にこうした疑問を持たせる いまの社会にも問題があるのが、さらに問題なのはこうした「人間とは何だろう」という根源的な問いが、いまの教師の目には子供らしからぬ危険なこととうつ る、そのことの方なのだ。これは必ずしも教師の責任だけではなく、いまの社会においては、根源的な問いは、そのままいまの社会を崩壊させてしまう、という 事実そのものを指し示している。

 いまの教育は、人並みでなければ間違ったような意識を人々に与える。

 人並みになるために試験地獄がある。エリートということは、つまり人並みへの通行証ということだ。

 それは決してむかしのエリートではなく、人よりすぐれた人間になる、ということでもない。

 そして、この人並みということは、現実には日本が戦いに敗れ、それまでの理想を失って以来、理想にかわるものとして、日本に培われて来たものなのだ。

 「戦後強くなったのは、女と靴下だ」一時、そんなことをいわれた時代がある。その靴下の方は、どういうわけかいまでは余り丈夫でなくなった。

 しかし、女の方は、いまではこの中流意識、人並み意識として、いぜん今日の社会に根を張っている。何故かというと、 この中流意識、人並み意識というのは、少くとも戦前では、男の意識ではなく、女の意識にほかならなかったからだ。それは家庭大事の意識、生活大事の意識で あって、むかしの男は、生活をなげうっても、家庭をなげうっても、しなければならぬ理想を持つことが大切だった。

 中流であるということ、人並みであるということは、むしろ男の恥であった。

 その男の恥が、いつの間にかプチ満足に変わったのは何故だろうか。そしてまた、このプチ満足から何が生まれるのだろうか。

 問題は、そこにある。

 生まれるのは、自分だけの幸福、自分だけの平和以外の何ものでもないことは、いうまでもない。

* * * *

 日本の国民ほど暗示にかかり易く、暗示に従順な国民はめったにない。

 私はいつか、電車に乗っていて、前に坐っている女性が、みな揃って同じむかしのオシメ・カバーの色をしたルイ・ヴィトンのバックを膝においている壮観にびっくりしたことがある。

 私が坐っている席を見ると、そこにも何と、そのバックを持っている女性が何人かいた。最近は、流行に対するこうした感覚は女性ばかりではなく、男性も同じことらしい。

 「みな自分と同じものを持っていて、よくいやな感じにならないものだね」

 と私がいうと、私の友人の女性は、

 「何いっているのよ。みなと同じだから安心出来るんじゃない」といった。

 だが、私の経験によると、むかしはおしゃれというものは、自分が他人と異った独特のおしゃれをすることに誇りを持っていたものだ。自分がそれを見つけ出し、創意工夫することに自分の価値があると思っていたのだ。

 いまは情報社会というか、流行社会というか、自分がいち早く情報をキャッチ、流行を身につけることが、大切なことだ とだれしもが思っている。だが、情報といい、流行といい、実際には単なる暗示でしかない場合の方がはるかにおおい。ついでにいえば、これに便乗するのが ジャーナリズムであり、そのジャーナリズムは、暗示に弱い日本の国民の性行によって、いまや隆盛を誇っている。

 いまジャーナリズムがとりあげるものは、そのほとんどが人並みに対する関心であり、情報社会や流行社会に乗り遅れぬための情報提供であるともいえる。

 いまの社会は、ジャーナリズムを利用すれば何でも出来る。

 ほとんどそんな印象さえ与えかねないほどだ。

 ところで、この変質は、実際には何から生まれたのだろう。

 実際には中流でもないのに、意識だけは中流意識という、その意識はどこから生まれたのか。それは必ずしも戦後台頭してきた女性のせいばかりではない。

 また、目的を失った男性の生き方が、著しく女性的になったというだけのことでもない。

 むしろ私には、その裏にはこの中流意識を造りだして来た、戦後の日本の、あらゆる力が結集しているように思われる。それは、平和というスローガンのかげにかくれた事なかれ主義であり、事なかれ主義のかげにかくれたさまざまの策謀であるともいえる。

 それは、この中流意識の蔓延をよろこぶ政治家の策謀であり、大企業の策謀であり、またジャーナリズムそのものの策謀でもある。

 人々と同じようであることに満足するということは、人々から真の意味の批判精神を奪うことでもある。

 ここで大事なことは、ジャーナリズムもやはり大企業の一つであり、その実体は大企業となに一つ変らないということだ。

 例えば、グリコ・森永事件では、新聞はグリコのときよりは森永のときの方が、はるかに人々の森永への同情を盛りたてる。そして、平気で庶民の怒りなどという言葉を使う。果してどれだけの人間を庶民といっているのか、庶民のなかには森永の社員も含まれているのだ。

 この雑誌の三月号で、野本三吉氏が氏に送られた手紙の一つで、少くともその庶民の一人であることには間違いのない一文を紹介している。

 「かれこれ八年前、私はT県Y市に住んでいましたが、その時、ある友人の紹介で森永砒素ミルク事件の被害者の青年に 会ったことがあります。・・・彼等の会話は誰が死亡したとか、入院したとかいう話ばかりで、その会話の裏には言葉にならない感情が流れているのが、私にも 伝わって来るのでした・・・。その私の友人も三年前に亡くなったと言います。彼も砒素ミルク事件の被害者でした・・・。中略・・・私は、彼等被害者に同情 こそすれ、森永なんぞに同情する気はサラサラありません。それを、あたかも「国民の敵」「子供をまきぞえにしている」などと、くだらないキャンペーンを 張って警察のいうがままに動いているマスコミの気持が、私にはわかりません・・・」

 マスコミは、警察のいうがままに動いているのではない。

 マスコミ自体が大企業であり、大企業の感覚で動いているのである。

 私も実は、この事件では、当時、首相であった中曽根氏が銀行筋に森永を支援するように、という発言をしたという記事 を読んだとき、この首相の思い切った、公私混同の発言にびっくりしたものだ。だが、不思議なことに、この発言に対する批判はどの新聞にものらなかった。恐 らく森永に対する同情をあおっているマスコミにとっては、その発言を批判することは大いに差しつかえがあったのだろう。私の友人で、むかしあるテレビ局の ニュース・キャスターをしていた男が、よく私に向って「ちょっと批判めいたことをいうと、翌日の朝にはすぐ上の方からチェックが入る」とこぼしていたが、 このチェックはもちろん局の上層部だけではなく、局の上層部に対して外部からの圧力のかけられたものであることは、いまさらいうまでもない周知の事実のよ うなことなのである。

 ところで、このことは、中流意識について考える上でも、案外重要なことなのだ。もしも国家が国民に対してそれを求 め、大企業もそれを求め、ジャーナリズムもまた然りというならば、それは国を挙げて造り上げて来たものではないだろうか。中流階級ではなく、中流意識を、 である。だとすれば、その反面、国民はうまくその意識にのせられている、ともいえる。つまり国をあげて、国民に向ってプチ満足をPRしているわけだ。そし て、そのプチ満足は、いまや日本の文化のあらゆる分野に行き渡って、その底で真の文化そのものを蝕んでいるのである。さすがの国家そのものが、いまやその 教育を改善しなければならないと思わなければならないほどに・・・。

 だが、一方では国民にプチ満足をPRすることによってその安泰を見出している国家が、いったいいかにしてその教育のなかで国民に真の理想像を与えることが出来るだろうか。

 この中流意識のなによりの弊害は、なによりも社会に適合することを優先する生活態度にある。人並みであるということ は、この社会にどのような矛盾があろうと、欠陥があろうと、それを追求するかわりにそれを認め、人並みにそれに適合しようとすることだ。これは国家にとっ てはこれほど安泰なことはなく、その結果、国家はますますその権力を強めて行く。いまの自民党に対する支持率は、つまりこの中流意識以外の何ものでもな い。

 しかし、その反面、この中流意識は、社会のあらゆる分野において、真実の探求という姿勢を失わせる。現実に適合しな がら真実を探求する、そのようなことはこの世のなかには残念なことにありえないのだ。現実に適合するということはとりもなおさず悪に眼をつむり、真実に眼 をつむるということでもある。その結果は一審で有罪になった男にも、平気で首相自らがその事実に眼をつむる。一審で有罪になっただけではまだ有罪と判断を 下すことが出来ないというのであれば、この世の中でどれだけの有罪になったものたちが控訴を採りあげる、採りあげないは別として、罪からまぬがれることが 出来ることか。首相自らがそうであって、いくら教育審議会など設けても、教育が改まるはずはない。さきの小学生ではないが、いまでは小学生の生徒たちさえ も、大人たちのそうした事実をはっきりと認識しているのだ。教育審議会で審議するものたちも、みな結局はそうした首相たちの仲間でしかないことを・・・。 文部省の役人のかたい頭のなかに一般の市民のやわらかい風を採り入れる前に、現実を糾弾し、真実を探求することを忘れた一般市民の生活態度そのものを再検 討することの方がはるかに先決問題なのである。

 私の好きな言葉に、福沢諭吉の

「人生で一番尊いことは、一生を貫く仕事を持つことです」 という言葉がある。

 一生を貫く仕事、それは少なくともいまの一般の人々がいう仕事ではない。いまの人々のいう仕事とは、働いて金を得る ことである。働けば当然金になる、それがいまの人々の考え方でもある。いや、いまの人々の考え方では金にならない仕事は働いたということにならないかも知 れない。だが福沢諭吉のこの仕事を、単にサラリーマンの仕事に適合してみたら、この言葉は全く何の意味もない、けったいな言葉になってしまうだろう。

 ここでいう一生を貫く仕事、それはいかにいまの社会に適合しなくても、自分が一生を貫いてやるべき仕事、ということである。むかしは「生ごめを齧っても」という言葉があった。事実また、そうした生活を貫いたものたちもあった。

 小説家は、みな貧乏なものだと相場は決っていた。絵描きにしても、音楽家にしても、いや、政治家でさえむかしは貧乏だった。

 政治家になると貧乏する、いまでは考えられないような、そんな言葉さえむかしはあったのだ。そうして貧乏に耐え、社 会の矛盾に耐え、ある場合には世間の人々の眼に耐えて、むかしは一生を貫く仕事としてあるものは小説家を志し、あるものは学者を志し、政治家を志し、一生 を貫く仕事の喜びを見出したのだ。

 いまでは、そういう風潮をただ人は嘲笑う。そして、すべてのジャンルで人々は、ただ社会に適合し、プチ・満足を得る ことだけを考えている。社会に適合したものであれば、多少の悪も人々は大目に見る。プチ・満足は、何かを求めるかわりに、それが壊れることを、まず恐れる のだ。それが例え幻影であっても、その幻影のなかにいつまでも生きることを求めるのだ。そして、こうした風潮は、まるで戦後の貧困の反動のように、戦後 たった数十年の間に、日本の国民の手によって、養われたのである。

* * * *

 戦後この数十年の間に、たしかに日本の経済は目まぐるしく発達した。生活は向上し、科学もかって歴史に類を見ないほど、華々しい進歩を遂げた。

 しかし、科学の進歩は、そのまま人間の進歩ではない。いや、むしろ余りにも著しい科学の進歩は、かえってそれに追い つけない人間を、ただ、同じように均一化するともいえる。中流意識の危険は、この生活の外見向上を、均一化を、政治の勝利と、経済の勝利と考えようとする ところにひそんでいる。だが、現実には、その内部には精神の貧困という、人間の恐るべき腐蝕がひそんでいるのだ。そして中流意識もまた、まぎれもなくその 腐蝕の現れの一端であるともいえる。

 いまから数十年前、ローベルト・ムジールは「ぼくの遺稿集」という本のなかで「トリエーダー」と題して、次のような 一文を書いている。トリエーダーとは望遠鏡のことで、ムジールはこの望遠鏡によって社会を巨視的に、あるいは徹底的に見たときのことを比喩的に書いている のだが、それはそのまま今日の中流意識に対する痛烈な皮肉であるともいえる。

 「・・・これと関連しているのは、よく笑いの種になる流行の愚かさであり、これは人間を一年間は長くし、別の年には 縮め、でぶにしたり、痩っぽちにしたりし、ある時は上を広く下を狭くし、ある時は上を狭く下を広くし、ある年には人間のすべてを下から上へ整えるかと思う と、あくる年にはまたもやすべてを上から下へ整え、髪を前後に分けたり、左右に分けたりする。もし一切の共感抜きで考察してみるなら、流行は驚くべきほど 僅かな数の幾何学的可能性しか示しておらず、その可能性の間で、きわめて情熱的に取り換えがおこなわれるが、そのくせ何時か伝統を完全に破壊することはな い。似たようなことが当てはまる思考の、感情の、行動の流行をもさらに考慮に入れるならば、われわれの歴史は、鋭敏な眼識の人々には、その僅かな壁の間で 人間の群が無思慮にあちこちに突進する畜舎に他ならないかに見えてくる。しかるに何といそいそとわれわれはその際に、実は当人自身たんに驚いて先に逃げだ したに過ぎない指導者のあとを追いかけることが、われわれが連繋を保ち、すべてのものが昨日とは違ったように見えるときには、何という幸福が、鏡からわれ われに向ってほくそ笑みを洩らすことか。こうした一切のことはどうしてなのか! おそらくわれわれは、もしわれわれの性格を公けに認められている紙袋の中へ突ッこんでおかないと、それが粉末のように飛散しはすまいかと恐れているのであ り、これはいかにも尤もなことといえよう・・・」

 そして、ムジールは、この一文をさらにこう結んでいる。

 「かくて、こうした仕方で望遠鏡は、個々の人間への理解と同じように、また、人間存在への不可解さを深める上でも寄 与している。それは通常の関連を解体して真の関連を発見することで、実は天才の身代りを勤めるか、あるいは少なくともその予行練習である。おそらくしか し、われわれは、まさにそれ故にこそ、これを推奨しても無駄だろう。だって人間は、劇場ですら望遠鏡を利用するが、それも幻影を高めるためか、あるいは幕 間に、だれがきているかと見渡すためであり、その際に探し求めるのは、見知らぬものではなくして、知り合いの顔なのである」

 だとすれば、私もまたこの一文、多分無駄なことを書いたことになろだろう。

1985年5月