道に、老幼婦女に譲れ
二十一世紀に思うこと

 二十一世紀についてどのようなことを思うか、といわれて、あっもう四年後には二十一世紀になるのか、と気がついた。 四年後といえば、つい目と鼻の先のことで、特に感慨があるわけはない。しかし、同時に、二十一世紀ということは、それから始まる百年ということで、そうな れば話は別だ。百年という歳月は、それこそ長いようで短い、短いようで長い歳月だ。

 私は、二十一世紀のほぼ四分の三を生きて来たが、この四分の三という歳月は人類の歴史から見れば、ほんの一瞬といっ てもいいような歳月で、それと同時に私の一生という歳月でもあり、私の若いころにはとても想像の出来ないような目まぐるしい変化に満ちた歳月でもあった。 歴史的に見れば、それは想像も出来ないような進歩に満たされた歳月であったといえたかも知れない。

 だが、奇妙なことにそうした進歩のなかを生きて来た私たちが、二十一世紀に期待することは、と問われると、そのこたえは必ずしも希望に満ちたものとはいえないような気がする。

 それどころか私は多くの老人から、どうせそのころは私たちは生きていないのだから、という何とも投げやりで絶望的なこたえを聞いたことさえある。

 この老人たちの絶望は、いったい何から起っているのか。一つには、この目まぐるしい人類の進歩に、とても若者たちの ようにはついて行けない、ということが彼らの絶望を誘っているということも出来るかも知れない。人類の進歩といっても、実際には進歩しているのは人類の 作ったものであって、人類そのものではない。人類そのものは、その何千年の歴史のなかで果してどれだけ進歩してきたのか、それは誰にもわからないことだ。

 この人間としての彼らの生と、その彼らをとりまく進歩とのズレ、それはまたその進歩に適応して生きる若者たちとのズレでもあり、それが彼らに二十一世紀に対する不安を抱かせるのではないだろうか。

 つまりその老人たちは、進歩に適応して生きる若者たちのなかに、何となく生物としての人間の不安を感じているのではないだろうか。


 私たちの世代のものには、どうも機械嫌いなものが多いような気がする。

 戦中、戦後の窮乏の生活を経験し、それから戦後の華々しい復活を通じて、テレビ、電気洗濯機、ルームクーラーと次々に私たちの生活を豊かにしてくれた科学の進歩が、パソコンやワープロが登場するあたりから、どうも私たちには追いつけない存在になって行ったらしい。

 殊にコンピューターという存在は、その登場の当初、人間に変ってものを考える機械のようにいわれたせいか、人間にとって変るというイメージがあって、私など最初からアレルギーを感じていた。

 つい最近そのコンピューターについてこんな話をきいた。コンピューターのことなどまるで知らない私の話だから、多少 間違っているところもあるかも知れないが、何でもコンピューターには電子メールという機能があって、この電子メールが昔の手紙のような役割を果すらしい。 ところが、この電子メールで交信を交わしていると、どうもいざこざが起りやすい、というのだ。

 その理由は、電子メディアを通じてのコミュニケーションは、顔を突き合わせる日常のコミュニケーションよりも、ずっときつく感じられるところにあるという。

 それをきいて私は、すぐに、それ見たことか、と思った。何故電子メールによる交信はきつく感じられるのか。私にいわ せれば、その理由は簡単で、機械が無意識のうちに当事者から人間的な感情を疎外させてしまうからだ。手紙を書いたり、会話をしたりするときは、時には相手 の顔色を見、何とか相手にわかってもらおうという気持で書いたり、しゃべったりするのだが、恐らく電子メールではただ自分の思っていることをいえばいい、 という姿勢に、知らず知らずのうちになってしまっているのだろう。人間的な感情を抜きにして人間的な交信が出来るはずはないから、その場合、どこかでヒビ が入るのは当り前の話だ。

 だが、私が将来のこととして、二十一世紀の問題としてもっと恐れることは、むしろこうした人間的感情ぬきの交信が、 当り前の日常となってしまったときのことだ。こうした交信に何の抵抗も感じられなくなったとき、そこで失われているのは、むしろ人間的感情の方になる。人 間の感性というものは、いい意味でも悪い意味でも、知らないうちに環境に順応して行くものだ。むかし映画が無声映画からトーキーに変った当初は、よく画面 のわきに字幕で説明が入っていたものだ。

 <それから××年たった・・・・・・>とか、<・・・・・・やがて、夜が明けた>とかいった類いのもので、映画そのものになじみのなかった昔の観客には、その字幕がないと時間の経過が理解出来なかったからだ。

 だがそれからフェイド・イン、フェイド・アウトの技法が出来、それが見るものに時間の経過をそれとなく分からせるようになった。

 だが、いまではフェイド・アウトとかフェイド・インなどがなく、画面がボンボン変っても、若者たちは平気でそれを理解出来る。

 何もいまの若者が昔の人間よりそれだけ利口になった、というのではない。

 時代の変化とともに、いつの間にか若者たちの感性がそうした画面の変化を理解出来るように馴染んで行った、というだけの話だ。

 だが、こうした感性の変化がいい意味でも、悪い意味でも、人間という生物にとっては恐ろしいのではあるまいか。

 私の大学時代の校則の一番初めに、こんな言葉がある。
 一、道に老幼婦女に譲れ

 校則の一番はじめの言葉としては、何ともたわいない、単純な言葉だと思うものもいるかも知れない。事実、学生時代、私もそう思っていたものだ。この校則 は、慶応大学の塾長であり、後にいまの天皇の皇太子時代の教育にもたずさわった小泉信三氏の作ったものだが、いま考えて見ると、しかしこの校則には、その 当時私たちには気づかなかった深い意味があったような気がする。

 勿論、当時では、道に老幼婦女に譲るということは、だれしもがわきまえていなければならない道徳の一つではあった。だが、その道徳を校則の第一番に揚げたことは、小泉氏の心のなかに、人間として何が一番大事か、という深い考えがあったからに違いない。

 いま私が知る範囲では、このような校則を掲げている学校は一つもないような気がする。老人などはまったく無視して、 シルバーシートに平然と坐っている学生の姿を見かけるのは、むしろ日常茶飯の事だ。この校則の素晴らしい点は、単に電車やバスのなかで老幼婦女に席を譲 れ、ということを守らせる、ということだけではない。そういう行為を習慣づけるということが、知らぬうちに、若者の心にいたわりの心を植えつける、という ことなのだ。学問や科学の進歩とは別に、教育のもっとも大切なこととして、人間としての在り方を位置づけていることだ。

 だが、今日の教育は果してどうだろうか。まるで今日の目まぐるしい科学の進歩に追われるように、子供たちに自分でものを考えるいとまもなく、ただ学問をつめ込んでいるだけのような気がしてならない。

 他人のことに気遣いなどしている暇など、勿論、ない。自分さえよければ、それでいい、というのが間違いなくいまの教 育の中心的傾向だ。幼稚園から塾に行く。いい高校に入り、いい大学に入り、いい会社に就職する。なかには、子供のころから、もうパソコンと向かいあってい る子供もいるという。人間とのつきあいより、機械とのつきあいに馴染んでいる、ということだ。このような子供が大人になったら果してどうなるだろう。
 私たち老人が、二十一世紀に対して抱く不安の一つはここにある。

 教育というものは恐ろしいものだ、という体験を、私たちは戦争時中おやというほどして来た。私たちは、戦争が終るまで、日本は絶対に勝つのだ、と信じて来た。敗けるときは一億玉砕だ、と信じて来た。それが正しいのだ、と信じて来た。そうゆう教育を受けたからだ。

 果していまの子供たちは、それならばどうゆう教育を受けているのだ。

 その教育には私たちが戦時中受けたと同じような盲点が、どこかに潜んでいるのではないだろうか。その盲点が、もしも二十一世紀を型造って行くとしたら、二十一世紀という世紀がだれにも予断出来ないものとなることは、間違いないことだろう。

 未来を考えるということは、科学の進歩を考えると同時に、また、そこに生きる人間うぃ考えることでもあるのだ。ある ものを得るとき、私たちはまた同時にあるものを失う、ということを肝に命じておくべきではないだろうか。その失ったもの、あるいは失いつつあるものを、私 たちはいま、二十世紀の終りに、来るべき二十一世紀のために再点検すべきときであるように、私には思えるのだが・・・。


 失ったもの、失いつつあるもの、というとき、私が考えていることは、人類の進歩ではない。むしろ人類の進歩という美名の下にかくれた、人間という生物である、といった方がいいのかも知れない。

 たしかにこの二十世紀の後半の科学の進歩は、あの産業革命といわれた時代を、はるかに凌ぐものであったといってもい いかも知れない。その産業革命が、われわれの日常の生活にさまざまな変化をもたらした以上に、二十世紀後半の科学の進歩も、またわれわれの生活にさまざま な変化をもたらしたといえる。

 かっては、われわれの空想の産物以外の何ものでもなかったものが、いまではわれわれをとりまく日常の現実になった。ごく当り前の日常になったわけだ。

 宇宙ロケット然り、電子計算器然り、テレビ然り、携帯デンワ然り・・・といった具合だ。

 しかし、その一方で、生物としての人間であるわれわれは、果してどのくらい進歩したのだろうか。つい最近のことだ が、いまの大人たちだけでなく高校生の間にひろまっている携帯デンワの功罪のことが話題になっていた。それによるとこの携帯デンワのおかげで交通事故がふ えている反面、この携帯デンワでの会話がコミュニケーションに欠ける現代の若者にとっては、心のマッサージの役割も果しているのではないか、ともいう。

 つまり彼らは本当の用事のためにこれを使っているのではなく、彼らの交流の媒体としてこれを使っているというわけだ。

 それをきいて、私は、おや、と思った。

 私はいまでも、だれかと本当に心の交流をはかろうと思うときには、決して電話など使わないことにしている。電話では こちらの表情を伝えることも出来ず、相手の表情を見ることも出来ない。自ら交流の範囲もそれだけ狭まって来る。電話の前では、むしろ心は閉ざされてしまう ような気がしてならない。

 それが心のマッサージになるとは、何とも意外な表現だと思ったのだ。  だが、よく考えてみると、いまの若者の心は、それだけわれわれの心と距っているのかも知れない。

 前に書いた電子メールの場合もそうだが、その電子メールが日常化し、それが当り前のこととなれば、もめ事もそれだけ減る代りに、われわれの心もそれだけ無感情になって行くわけだ。

 しかし、それが果して生物としての人間の進化といえるかどうかは、まったく別の話だ。

 いつだったか、ある歴史の本で、偉大な文学というものは、進歩や変化の余りに激しい時代には決して現われることはな い、というのを読んだことがある。それらの進歩や変化が一段落し、社会が安泰したとき、はじめてそこから偉大な文学が現われて来る、という。一九世紀は、 さまざまな意味でいろいろな偉大な文学者を輩出した。

 これは、はなはだもっともな意見で、その意味では、今日では、文学と哲学はほとんど不在といってもいいのではない か。それはただ単に哲学者や文学者が、人間としてその進歩や変化について行けない、というだけのことではない。それ以上に、その進歩や変化のかげでの、人 間の衰弱が問題なのだ。

 人間が衰弱すれば、哲学は衰弱し、文学も衰弱する。人間の衰弱をもっともよく示すものは、哲学の衰弱であり、文学の衰弱なのだ。

 これは果して暴論だろうか?

 私は決してそうは思わない。何故ならば、哲学といい、文学といい、唯一の人間を主体とした学問であり、芸術であるからだ。


 ここで私たちは、もう一度、人間を自然のなかの一生物として考えてみよう。

 環境破壊自然破壊という問題は、今日ではだれしもが認めるもっとも重大な社会問題である。だがこの言葉をきくと、私にはどうも<何か一つ忘れてはしませんか?>という心の滓のようなものが残る。

 いまさまざまな場所で問題になっている原子力発電所の問題にしてもそうだ。

 この問題に対する答えを、いまからもう何十年も前に。二十一世紀唯一の哲学者ともいえるハイデッカーは、こう書いている。

 「いま論議が集中している原子爆弾も、特殊な殺人兵器として、致命的なのではない。すでに以前から死、しかも人間の本質の死をもって、人間を脅かしていた ものは、すべての領域における計画的自己遂行の意味における、赤裸々な意志の無制限性ということであった。人間をその本質において脅かしているものは、自 然のエネルギーの平和的開放、変形、貯蔵、管理によって、人間は人間存在を万人にとって耐えやすいもの、そして全体として幸福なものとすることができると いう意志の憶見なのである・・・・・」

 原子爆弾が地球を破壊し、人類を破滅に導くから危険だ、原子力発電所も万一の危険があるから反対だ、というのではない。

 それ以前に、人類の地球支配という憶見が危険なのだ。平和に利用出来ればそれでいいではないか、という考え方のなかに危険が潜んでいるということをハイデッカーは警告しているといってもいい。

 それはまた、同時に、自然保護、環境保護、という考え方のなかにもある。

 保護するのはだれか、人間だとすれば、その考え方は人間の奢り以外の何ものでもない。何故ならば、人間もまた自然によって保護されねばならない生きもの以外の何ものでもないからだ。

 だが、果して二十世紀の人間は、そうした人間自身の自然保護について、真剣に考えたことがあるだろうか。人間自身の内部における自然破壊に対して、どれだけの自覚をもっているといえるだろうか。

 例えば、いまの教育制度を考えてみよう。幼稚園のころから塾に通わせるような教育が、果して人間の自然の成長に即し たものかどうかは、だれが考えてもわかることだ。だが、そのだれが考えてもわかることを平気でやる親は、目に見えぬ自然破壊には平気で目をつむり、ハイ デッカーのいう人間は世界を征服出来るという憶見に平気で身をまかせているものなのだ。

 そのような子供たちのなかで、どのような自然破壊がどのように行われているのかは、だれもわからない。

 それはフロンガスが大気オゾン層にどのような影響を与えて来たか、ながい間わからないでいたのと同じようなことだ。しかし、わかったときにそれが一大事になるようなことがあったとしたら、われわれはそれに対してどのような責任をとればいいのか。

 同じことは、携帯デンワや電子メールについてもいえる。コミュニケートというものは決して言葉によってだけなされる ものではない。言葉以上に、顔や表情によってなされるものだ。その便利さの背後にわれわれが失って行くものは、人間という自然であるともいえる。そしてそ の場合、われわれが体験するのは、われわれ自身の人間の貧困という体験なのだ。


 かって十九世紀は、さまざまな哲学や文学が、けんらんと花ひらいた時代であった。

 カントの認識論、ヘーゲルの弁証法、マルクスの唯物論、現象論、また文学ではゾラの写実主義、自然主義文学、トルストイ、ドフトエフスキー等々、それぞれに豊かな個性が世界を蔽っていた。

 私はそれらの個性を生み出した力は、人間の持つ思弁という能力だと思っている。

 しかし、この思弁という能力は、今日ではほとんど失われてしまったように、私には思われる。思弁という言葉を辞書で 引くと、経験によらず、純粋に思考だけによって、経験によって到達できない対象を知ろうとすること、知的直観、と書いてある。カントは、その思弁によって 認識論に達し、ヘーゲルもまた弁証法に達した。だが、この思弁という言葉は、今日の若者たちにはほとんど理解できない言葉になってしまったのではないか、 と私は思う。つまり思弁という能力は、人間が経験のなかからではなく、自分自身の自然のなかから生み出す能力なのだ。

 それは何が真の善であるかを考え、何が真の美であるか、何が真の真であるかを考える。しかし、そのような思考は、現 代ではほとんど停止してしまっている。若者たちは、幼いころから塾に通って学問や知識を詰め込まれる。そして、その詰め込まれた分だけ、彼らの人間として の能力を失って行くような気がして仕方ないのだ。

 思弁ということは、決して荒唐無稽のことではない。人間が人間という自然のなかで考えることだ。その自然が失われれば、思弁という能力は失われる。そして思弁という能力が失われれば、哲学だけではない、文学もまた衰退して行くのではあるまいか。

 その意味で二十一世紀に私が求めることはただ一つだ。二十一世紀は、文学と哲学の世紀であれということだ。人間が、 もう一度、人間としての自然を回復してほしい世紀である、ということだ。環境保全もよろしい、自然保護もよろしい、しかし何よりも人間自身の自然につい て、もう一度考え直してみることだ。その意味では、人類はもう一度思弁という能力を回復すべきではあるまいか。そして思弁という能力が、どこから生まれて 来るものなのか、考え直してみるべきではあるまいか。

 ハルマゲドンという言葉がある。

 オウム真理教以来、一躍有名になった言葉だ。しかし、こうした世紀末思想は、何もいまに始まったことではない。問題 は、むしろオウム真理教に集まった信者の若者たちが、何故簡単にハルマゲドンなどを信ずるのか、ということにある。恐らく私は、その理由の一つは青年であ る彼らが、その内面に感ずる自己の貧困さにあると思う。

 自己のうちの自然の貧困さが、彼らを世紀末的思考へと誘うのだ。それはSFの多くが、地球の滅亡の原因を人類の叡智 に置くのと同じようなものだ。科学の発達を馭せなくなった人間、科学の発達とともに失われて行く人間性、SFならずとも二十一世紀にそうした不安を抱いて いるものは決して少なくないはずだ。

 現に多くの老人は、口では子孫の幸せとか、子孫の繁栄とかいいながら、腹のなかでは、どうせそのころは私は生きていないんだから、と思っているものも少くないようだ。

 人間は自己中心的になればなるほど、実際には自分のなかの自然を失って行くものだ。外部からの栄養を補給する機会が少くなるからだ。

 外部というのは決して自然だけではない。人間同士の関係も同じことだ。

 戦争中、あるいは戦後の貧しかったころは、われわれはその貧しさのなかでお互い同士助けあったものだ。それがもともと郡棲動物として生まれた人間の自然だからだ。その自然が、しかしいまは何と遠くなってしまったことか。

 一、道に老幼婦女に譲れ

 私は、もう一度小泉氏の作ったこの校則を引用しよう。そして、この単純で素朴な一言が、ぜひ燦然と光るような世紀に、二十一世紀がなってほしいと思うのである。

1996年10月