家庭第一主義を排す (思いやり)

 わが家には、いま、今年5才になる一匹の猫がいる。この猫は実は、わが家の玄関の前に野良猫が置いて行った猫で、私が見つけたときは、ま だ生まれてせいぜい10日か15日ぐらいしかたっていない仔猫で、おまけにひどい栄養失調で、目は盲目、後でわかったことだが、耳もほとんどきこえない仔 猫だった。いまはもう5才になっているが、相変わらず目は見えないらしく、家の中は自由に歩けるのだが外に出ることはなく、耳の方もだいぶ遠いままだ。野 良猫の親がこの仔猫をわが家の玄関の前に置いて行ったのは、わが家のかみさんがその野良猫に毎日餌をやっていたせいで、多分自分では到底養いきれないと考 えて、ここなら面倒を見てくれると思ったからだろう。

 私がいまでも憶えているのは、その仔猫を見つけて、家に抱いて入ろうとしたとき、ふと何かの視線を感じて、隣りの家の屋根を見ると、その屋根のかげで、 じっとこちらをうかがっている親猫とその親猫が去年産んだ仔猫とが、私と目が合うと安心したようにその場を去って行った後ろ姿だ。それはよく昔の時代劇な どで、貧乏の余り子を捨てた母親が、その子が良い人に拾われるかどうか心配でいつまでも物陰で様子をうかがっている姿を私に連想させたからだ。猫にもその ような知性と親心があることが、私には新鮮な驚きであったのも事実だ。

 ところで、私が「思いやり」というテーマに対して、こんな猫の話から始めようと思ったのは、ただ単に猫にもこんな親らしい思いやりがある、といいたかった ためではない。こうした親の愛情は、何も猫だけではなく、ほかのいろいろな動物にも、それぞれいろいろな形であるに違いない。むしろ私がいいたかったこと は、にも拘らず人間は、そうした親心を、どこかで人間だけの特技のように思っているのではないか、ということだ。

 それが美しくない、とはいわないが、それはまた、人間の本能の一つであるということも事実なのだ。

 どうも最近のテレビなどで、いろいろな人々の話をきいていると、現代ではだれしもが家庭の幸福ということをまるで免罪符のように思っているような気がして ならない。何よりも家庭の幸福を第一に考える、という生き方が、どうもいまの社会ではもてはやされているようだ。その家庭の幸福というものがどんなものな のか、私にはよくわからないが、果たしてそれは正しいといえるだろうか。
 家庭の幸福といえばきこえはいいが、それは反面、自分の家庭さえ幸福であればいい、という自分本位につながることにもなりかねない。

 そうした家庭にも、たしかに愛情はあるかも知れない。しかしそれはあくまでも自分本位の愛情であって、決して思いやりではない。

 現代の家庭第一主義には、私にはどうしても、こうした自分本位の考え方がその奥にひそんでいるような気がしてならないのだ。だれしも自分本位であれば、本 当に他人を理解することは出来ない。親と子、夫と妻であっても同じことだ。親が子を殺し、子が親を殺したりするような昔では考えられないような断絶が何故 起るのか、それは、親子の間でも、決して愛情だけでは理解しあえない領分が人間にはあることを端的に示しているのではあるまいか。

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 「思いやり」ということは、決して単なる愛情ではない。やさしさ、でもない。それ以上に「思いやる」ということは、相手を理解しようとす ることだ。相手を思いやる心とは、相手を理解しようとする心だ。しかし今日では、人間が人間を理解しようとする機会は、ほとんど失われてしまったように私 には思われる。今日の生活習慣のなかには、人間が人間を理解しようとする機会は滅多にない。そのような理解などしなくてすむ社会になろうとしているのが現実だ。

 政治の世界でよく出て来る言葉に、道義的責任はあるが、法的責任はない、という言葉がある。道義的責任とは、つまり人間的責任ということだが、彼らは決し て人間的な責任によって罰せられることはないのだ。そして、だれもまた、この人間的責任を追及しようとするものもないのだ。
 その意味では彼らは、人間としては不在の世界で生きているともいえる。

 この人間としては不在の社会、それはまた、今日の社会の空虚な実態であるともいえる。何故ならば、この社会を動かしているのは道義的責任を背負う人間では なく、法的責任を背負う法的人間だからだ。これは政治の世界だけのことだはない。企業にしても同じことだ。今日の企業で、果して本当に人間として生きて行 けるものが何人いるだろうか。アンドレ・マルローは、むかし、「今日の世界では真の個人に出会うことは、奇跡に出会うより難しい」といっていたが、まさに その通りだ。

 今日の企業は、どれも真の意味の人間を社員として求めてる企業などないし、また社員としても自分は企業の単なる部品でしかない、と思っているのが実情だ。 彼らが会社のために一生懸命働くのは、真の意味で会社のために、というのではなく、会社がなくなってしまえば自分もなくなってしまう、という部品感覚のた めだ。企業にとっては部品は必要でなくなれば取変えればいいだけだから、社員に対する思いやりなどあるはずもない。

 社員同士にしても、部品が他の部品のことを本当に理解する必要などまったくないわけだ。この部品が求めるものは、つまりは自れの家庭の幸せだけだ。彼らが 家庭第一主義になるのも無理のないことではないか。相手を思いやれば、それこそ自分の足を引張られかねない、という危険の方が、彼らにとってはるかに多い のだ。いや、それ以上に、彼らは部品として、人間不在の社会に生きているといった方がよいのかも知れない。

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 ではいったい、このような現象は、いつどこから生れたのか?

 私にはその元凶は何といっても教育にあるように思われる。

 戦後間もなく、「女と靴下は強くなった」という言葉が人々の間でいわれたことがあったのはを憶えている方がいるだろうか。

 また、一方では「教育ママ」という言葉も社会の話題にのぼったこともあった。「女と靴下」の靴下とはナイロンの靴下のことで、このナイロンの靴下は当時と しては驚異的にいつまでも破れずに長もちしたものだ。一方の女のほうは、「教育ママ」同様、いささか揶揄的な意味もあったが、それだけ男が弱くなったとい うことで、このころからつまり男の男らしい生き方というものが、世間から影をひそめていったような気がする。

 男の男らしい生き方、といってもいまの若者にはどんな生き方かさっぱり解らないかも知れない。勿論、その生き方にもさまざまな生き方があるが、その一つに は、男たるものは家庭のことなどかかわらずに、自分のなすべき仕事に一生を捧げる、ということがある。自分のなすべき仕事というのは、会社に勤めて月給を 貰う、ということではなく、勿論会社に勤めるということが悪いということではないが、真に自分が一生を捧げてもよいという目的を見つけ、その目的と取り組む、ということだ。

 福沢諭吉の「人生で一番幸せなことは一生を貫く仕事を持つことです」という言葉もそのことで、家庭のことなどかえりみず、そうした仕事に邁進することが男らしい生き方だというわけだ。
 この考え方が正しいか正しくないかは別として、戦後、「女と靴下が強くなった」ころを境に、こうした生き方は日本の社会では絶滅してしまったように思われる。男は現実に立向うかわりに、現実と妥協する道を選んだ、といってもよい。

 その一方では、最初のうちこそ揶揄的存在であった教育ママは、いつの間にか、揶揄的存在どころかすこぶる日常的な存在になってしまった。最初のうちは塾に 通う子供などごく少数だったのに、いま塾に通わない子ははとんどいなくなってしまった。いまでは多くの家庭で父親までがその戦線に参加しているというのが 実態のようだ。考えてみれば「教育ママ」が社会の話題になってからもうかれこれ30年近い歳月がたつ。そのころ「教育ママ」に教育された子供たちは当然い まは父親になっているわけで、これはむしろ当然のことかも知れない。

 こうした教育は、しかし一体どのような人間を生み出すのだろう。

 私にいわせれば、それは、ただ単に数多くの社会の部品を産み出すに過ぎない。もともとが「教育ママ」に手を引かれ塾に通う子供たちは、子供のころからママ の部品として育てられているのだ。こうした部品が、企業にとって大変有難い存在であることも十分うなずけることである。
 こうした母親というものは、えてして自分は子供を隅から隅まで知っていると思っているものだ。実際に子供と何の交流もないにもかかわらず、ただ自分は子供を愛している、という思いのなかに安住しているわけだ。

 しかし、思いやりというのは決して愛情だけですまされるわけではなく、この母親は実際には子供に対する思いやりがない、といわれても仕方がない。よく世間 で話題になる家庭内暴力の問題は、この母親や父親の思いやりの欠如に対する子供たちの反撥だといえるのではないか。つまり彼らは、ながい間の部品としての 習性のなかで、もはや暴力以外に交流の手段を見出せなくなってしまっているともいえるような気がする。

 よく子供は父親の背中を見て育つ、というが、しかし事あるごとに家庭のことにヒョコヒョコ口を出す父親には、本当は見るべき背中がないともいえる。あるの は面と向って小言をいう親父の顔ばかりだ。昔の父親は家庭のことには滅多に口を出さず、母親がよほど困ったときに一言二言口を出すくらいのものだった。だ から子たちは、外で働く父親のその背中を見て育ったのだ。
 父親という存在は子供たちにとって、ちょうど孫悟空における釈迦の掌のようなものだった。父親というものは、どこかでいつも見守っていてくれるものだ、という意識があったものだ。

 何もいわない父親はその生き方のなかで子供と交流していたともいえる。思いやりというのは言葉だけでなく、その態度からでも交流できるものだ。何もいわな い父親は、少くとも子供を部品として見ているのではなく、一個の存在として認めていることにもなる。そして、相手を自分から独立した一個の存在として認め ることは、それはまた思いやりの原点であるともいえるのだ。

 こう考えて来ると、いまの子供たちはまったく思いやりという習慣のない世界で育っているともいえる。ほかの子供たちよりも勉強し、ほかの子供たちよりもい い学校に入り、ほかの子供たちよりもいい会社に就職する。そうした人生航路には、どこを探しても思いやりは必要でない。他人に対する思いやりの感度も麻痺 していれば、自分が受ける思いやりの感度も自ずと麻痺してしまっている。すぐれた部品だけを製造しようという教育には、思いやりという精神構造はまったく 無縁であるばかりか、ときには邪魔なものでさえあるからだ。

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 では「思いやる」という心は、いったいどこから生れるのか。親が子を愛し、子が親を愛する愛情、夫婦の愛情、それは愛情であって、決して思いやりではな い。思いやるということは、まず相手を自分と全く別の存在と認識し、それを理解しようとすることだ、家庭第一主義もよいが、ときにはそれ以上に大事なもの はないか、と顔を上げてみることだ。思いやるということは、人間が人間として、社会的・法的人間として生きるのではなく、道義的人間として生きることだ。 道義的人間として、人間同士の連帯感を持つことだ。戦後日本の社会で失われてしまった「男らしい生き方」とは、この道義的責任のために社会と戦う生き方の ことだ。男たるものは、たとえその戦いに敗れても、社会と戦わなければならない。福沢諭吉の一生を貫く仕事とは、一生かかってもなし遂げることの出来ない 仕事、一生をかけてするに値する仕事、ということだ。

 思いやる、いうことは、まず人間としての正しい生き方の探究から始まる。男らしい生き方の原点は、何が正しいか、ということだ。人間として何が正しいか、 ということは、すべての人間を思いやる心につながる。一生を貫く仕事とは、成功するか失敗するかではなく、それがあることが幸せなのだ。

 この場合の仕事とは、いまでいうサラリーマンの仕事ではなく、人間としての仕事、ということだ。しかしいまの社会にもっとも欠けていることは、この〈人間 としての〉ということだ。人間はまず第一に人間として生きなければならないが、いまの社会は、野球のうまい少年や、ウソのうまい政治家や、ちょっと顔のか わいい歌手を見出すことのは敏感だが、優れた人間を見出すという機会は、まったくない。

 当然のことだが、だれもその一生を優れた人間になろうと志すものも、一人もいない。その人間に、思いやりを説いたところで、これは無駄な話だ。そもそも、その教育の出発点から、優れた人間を作ろうという意識など、どこにもないのだ。

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 「思いやり」ということを考える場合、いまの私たちは個々のこまごまとした思いやりのことを考える前に、思いやりという心の生まれる生き 方について考えることが大切だと思う。思いやりというものは、思いつきであるものではなく、その生き方から生まれて来るものだ。その意味で、現代の社会は その土壌がすこぶる貧困なものになってしまったといえる。日本の社会は裕福になったのに、裕福になればなるほど、他人への関心は薄れて行くようだ。貧しい ときは助けあったものが、裕福になればなるほどその関心が薄れていく。

 しかし、それは貧しいときにはお互いに助けあい、励ましあったものが、裕福になるにつれ必要がなくなった、というただそれだけのことではない。貧しいと き、お互いにわけあった不幸や喜びの心がなくなった、ということだ。その心は裕福になるにつれて、自分が他人より少しでも裕福であろうとする心に変わり、 自分の裕福を守ろうとする心に変わる。自分たちの生活を通じて、社会の不幸を見、不正を見、それと戦おうとする心は失われ、つまりわが家という家庭の幸福 だけが、生きる上での正当性となっていくわけだ。他人の不幸にはいささかの募金でもすればそれでよいし、社会の不正は何も部品としての存在である自分が正 すべきことではない。裕福であるということは、つまり他人を思いやらなくてもすむ、ということだ。

 他人を思いやるということは、多少に拘らず、自れを犠牲にするということだ。電車の席を譲ること一つにしてもそうだ。

 だが、この自れを犠牲にするという習慣は、今日ではほとんど失われてしまった。私が戦前の男らしい生き方について語ったのは、この男らしい生き方が、どこ かでわれわれの生活のなかに習慣としてあったからだ。何が人間として正しいか、というその正しさに対する反応が私たちの生活のなかに習慣として残ってい た。それが多分に私たちのの行動基準になっていたような気がする。

 どのような社会でも、正しく生きようと思えば、必ずその社会と戦うことになり、しかもその戦いは勝つ効算より負ける効算の方がはるかに高い。しかし、男の 生き方とは、それでもその戦いを戦うという生き方であり、不可能とわかっていてもやらなければならないことに立ち向う、という姿勢である、という思いが あった。この姿勢は、一見思いやりと何の関係もないように見えるが、しかし、不可能とわかっているのに、何かをやるのはばかげたことだとする現代的な心に はないものが、そこにはあることも事実だ。それは自れを犠牲にするという心で、何か大袈裟に響くかも知れないが、思いやりもまたそれに通ずるのだ。電車の なかでシルバーシートに坐っていたり、2人分の席を占有して坐っていても、何も老人が来たからといって席を立つ必要もないし、座席をつめる必要もない。

 つまり、いまの若者は、他人のためにそれだけの犠牲を払うのもいやなのだ。占有したものは彼らの権利で、それは彼らの家庭の幸福と同じように、権利なのだ。かわいい、とか、かわいそう、とかいう心はあっても、それは思いやりとは何一つつながらない心なのだ。

 私たちの肉体には栄養失調という病があるように、心にもまた栄養失調という病がある。心の栄養が失われて行けば、それだけ他人への思いやりも失われて行く ものだ。法に縛られ、組織に縛られ、勉強に縛られ、わが家の幸福という小さな輪のなかで生きる人間が、そうした心の栄養不良に陥ったとしても何の不思議も ない。まさしくそうした心の栄養失調の典型といえるのではないか。

 私は前に21世紀にのぞむこととして、私が慶應義塾に在学中、塾長の小泉信三氏が塾則の第一としてかかげた<一、道に老婦女に譲れ>という項目を、いかにも小泉氏らしい素晴らしい卓見として挙げたことがある。

 今日、こうした校則をかかげている学校は一つもない。一見つまらなそうに見えるこの塾則の素晴らしい点は、学校教育を決してただの勉学だけの場としてみていないことだ。ただの勉学だけの場であれば、それが厳しければ厳しいほど、それは人間の心を枯らしてしまう。
しかし、道に老婦女に譲れ、ということは、ただ単にそうするということが大事というだけでなく、そうした心がけが心を豊かにしていくということでもあるの だ。私たちの心が、肉体や知識同様、育てられ、育って行くものなのだ。だが、いまの学校教育で、果してそうした心の教育が、どこで行われているのだろう か。学校が終って塾に通うような子供たちの日常、それはむしろ子供たちの心を栄養失調に陥れている教育以外の何ものでもないのではないだようか。

 最後に私は、つい最近、地下鉄のホームで目撃した一つの情景を書いて置こう。

 その日、その駅のホームはそれほど混んでいたというわけではなかった。
 電車を待つものが15,6人それぞれ二列に並んで立っていた程度だった。
 そこへ電車がやって来た。ちょうど止ろうとしたとき、70過ぎぐらいの一人の老婆が通りかかった。別にその列に割り込もうというのではなく、私が見たとこ ろではたまたま電車の扉の近くに老婆が立ち止った結果になったのだが、その老婆がそのまま電車に乗ろうとしたとき、突然、列の2,3番目に立っていた男が、

「ちゃんと並んでいるんだ、後ろに行け!」

とその老婆に怒鳴ったのだ。勿論、その剣幕にびっくりして乗るのをやめてしまった。
 怒鳴った男は45,6歳の恰幅のよいどこかの会社の部、課長といった感じだったろうか。
 多分、彼の眼には老婆が割り込んで来たように見えたのだろう。また、あるいは彼のなかには年よりの女は図々しい、といった意識があったのかも知れない。

 だが、私はそのときふと考えたのだ。彼がいうように二列に並んで人々が待っているのだから、そこに割り込むというのは、たしかに良くない。しかし自分より はるかに年とった老婆に、そのことで怒鳴るというのはどんなものだろう。むしろ、自分の前をあけて先に乗るようにうながす方が本当ではないだろうか?

 この男には、しかし、二列に並んで順番を待つということの方がはるかに大事なことなのだ。いや、二列に並んで自分が占めた3番目という位置の方が、はるかに大事なことだったのかも知れない。

 こうした例は、今日ではいくつも見かける。人間よりも法が大事、人間よりも組織が大事、それを冒さない範囲であれば、人間のことなどどちらでもよい、とい う考え方だ。そして、この考え方を延長すれば、シルバーシートに悠々と大股をひろげて坐っている青年の姿になる。シルバーシートに坐っていても何も法律で 罰せられるわけではない。そしてそこに坐ったからには、その場所は彼が占有したもので、だれにも空け渡す必要はないものだ。彼らの姿は、つまりそうした人 間の生き方の象徴でもあるわけだ。

 そして、それは私には、何ともウソ寒い未来を連想させるのである。

1997年5月