人間らしい人生
「恥知らずの時代」より―

 早いもので、平成10年も、もうそろそろ終ろうとするころになった。

 考えてみると、今年は何ともずるずるとけじめのないままに時が経ってしまった年のような気がする。その間にあったことといえば、何回かにわたる景気対策 にもかかわらず、回復するどころかますます後退して行く景気と、何とも中途半端で尻切れとんぼとしかいいようのない行政改革、そして、大蔵省をはじめとす る官庁や銀行、大企業の間の癒着や贈収賄、背任といった出来事ばかりだ。

 私は去年の暮、平成10年に期待することとして、行政改革や景気の回復を願うより先に、何よりも平成10年が時の上にしっかりと留って、事の本質を見極める年になってほしい、と書いた。

 だが、その事の本質は、ついに国民の前に、明らかにされることもないままに、平成10年も、もう終ろうとしているわけだ。

 つい最近、金融システム安定化のための公的資金60兆円が国会で容認され、これによって金融システムも安定化の方向に向い、景気も底を打つと政府は考え ているらしいが、これとても、はっきりとした銀行の実体が国民の前に明らかにされた上での政策ではないし、事実、国民の半数以上が、この法律によって景気 が上向くとは期待していないというのが実情だ。

 実際、10兆円といい、13兆円といい、60兆円というと、国民の眼にはただ単なる架空の数字といった実感しか湧いて来ないが、例えば60兆円といえば、国民1人当り50万円にも相当する金だ。

 いまの代議士先生たちは、50万円だ、100万円だといっても、大した金ではないと思っている先生方も多いかも知れないが、それは金に麻痺した先生方の 話で、国民にとっては大変な金なのだ。それだけの金を、国民に犠牲にさせておいて、それを実体のわからぬ銀行に注入し、もし失敗したときの責任を、いまの 政治家たちは、本当に考えているのだろうか。

 だいたい、いまの政治家の諸先生方は、何かと言うと日本発世界恐慌を起してならぬとか、銀行が破綻すれば即恐慌が起り、日本経済は滅茶滅茶になるとかい い、なかにはいま銀行の実体を明らかにしないのは、それが明らかになればいたずらに国民を不安に陥れ、それだけで恐慌にもなりかねない、などという意見を いうものすらいるが、真実とは常にそうしたものだということを彼らは忘れているのではないか。真実を恐れれば、そこから糊塗が生れ、その糊塗はますます傷 を深くして行くのだ。

 これは甚だ乱暴な意見かも知れないが、もしも真実を明らかにすることによって恐慌が起り、それが日本発世界恐慌につながったとしても、日本が再びその真実から立直り、それが日本発世界経済の安定に向うとしたら、それはそれでいいのではないか。

 むしろ恐ろしいのは、日本のその糊塗された見せかけの経済の安定の上に、今度は外国発の世界恐慌が襲って来ることの方だ。

 恐慌といい、不景気といい、日本の国民はあの数十年前のそれこそ何もない焼野原から、いまのこの日本を築いて来たのだ。日本の国民にはそれだけの力があることを、もっと日本の国民も政治家も自覚すべきではないか。

 私は先の平成10年に期待することという一文のなかで、画家ゴッホの、

 ああ、この世の中には影絵の形と輪郭を示すに足りるだけの僅かばかりの光は、僅かばかりの幸福はなくてはならぬ。その他は暗いままでいい。

という言葉を引用し、この一握りの真実の光をこそ見出すべき年になってほしい、と書いた。

 しかし、このゴッホの言葉は、ただ単に一握りの光があればそれでいい、ということではない。そうでなくて、一握りの光があればそれでよし、とする決意をいっているのだ。その決意によって、あの溢れるばかりの光と色彩の画家ゴッホは生れたのだ。

 これは経済とても同じことだ。真に真実を見極め、それから立直る勇気と決断を持つこと、それがいまの日本には何よりも求められているのではないか。だが、そうした勇気と決断がいまの日本にはどこにも見られないのは、何故なのだろうか。

*      *      *

 私には、それは戦後日本の何十年かの歴史のなかに潜んでいるように思われる。これは勿論、政治だけの問題ではない。政治の問題であり、 経済の問題であり、マスコミの問題、教育の問題、ひいては社会全体の問題である。私は、その問題の中心にあるのは、やはり長年にわたる政官財の癒着にあ り、就中(なかんずく)その癒着の構造が目指す、大企業中心主義にあったように思う。

 この大企業中心主義は、今回の金融システム安定化の法案にも端的に現れている。勿論、金融システムの安定が経済にとって重要であることはいうまでもない。また大企業の倒産があれば、それが経済全体に及ぼす影響も甚大なものがあるだろう。

 しかし、だからといって、その実体を明確にせぬままに、公的資金をそこに投入するというのは、果して、本当の意味での安定につながるだろうか。本当に安 定につながるものであれば、その実体を明確にした上での方が、はるかに国民の信頼を得ることも出来、かつまた、効果もあがるはずではないか。

 いま政府がやるべき何よりも重要なことは、国民に対して確固とした信頼をうることだ。その信頼を回復することなしには、景気もまた決して回復することがないことを、もっといまの政府は肝に銘ずべきなのではあるまいか。
 かって日本の経済は不景気になるたびに、公定歩合を引下げ、公共投資を拡大することによって、景気の回復をはかって来た。

 これはまず第一に大企業の景気の回復を図り、さらにその影響のもとに中小企業の景気を回復し、それがやがては国民全体の生活の向上をもたらす、ということでもあった。それは、たしかにバブルの崩壊までは有効な手段であった。

 だが、この大企業中心主義は、その反面さまざまな弊害をもたらしたともいえる。その第一は、大企業と呼ばれる企業の心の奢りである。

 この心の奢りは、いまでも多くの銀行に見られるものではないか。真の実体を示さずとも、よもや自分たちが倒産や廃業に追い込まれることはあるまい、とい う姿勢が、彼らの態度にはありありと窺われる。もしもこれが中小企業であれば、そのような姿勢を許すものは一人もいないだろう。それを許すことは、それ自 体が癒着だといわれても仕方ないのではあるまいか。

 しかし、この大企業中心主義のもう一つの弊害は、もっと幅広いものだといえる。その弊害は、私にいわせれば、部品主義ともいうべきもので、国民の一人一人の意識にかかわるものだ。

 それは自分を真の意味で一個の主体性のある個人と考えるより先に、社会に従属した一個の部品として考えるという姿勢だ。それは、今日では日本の全社会を蔽っているといってもよい。

 早い話が、ジャーナリズムにしてもそうだ。いまのマスコミが、本当に真実を目指し本当の価値を求め、それを広めようとしているとは、到底私には思えな い。むしろいまのジャーナリズムは、いたずらに贋ものの価値を造り出し、価値を混乱させているとしか思えない。それはつまるところ、視聴者の興味を引き、 視聴率を高め、マスコミの部品としての自分の仕事をすればそれでいいのだ、という姿勢でしかないのだ。

 つまり、自分を社会の部品として位置づけ、その部品としての仕事だけをすればそれでいい、という姿勢なのだ。真実を追究するのでもなく、価値を追及するのでもない、あるのは報道というジェスチャーだけだ。

 この部品主義は、必ずしもサラリーマンや労働者だけに限ったことではない。むしろ恐ろしいのは、それは多くの政治家や経営者たちにも及んでいるということだ。いまの政治家は、何故これほどまでに国民の意識と離れたものになってしまったのか。

 それは、国民の側にも多分に責任があるかも知れないが、それ以上に、政治家が、余りにも政治という世界に浸りすぎているためだ。彼らにあるのは、やはり 部品としての政治家の意識で、だから失敗したとしても、その失敗を彼の責任として受止めることもないし、正直に認めることもない。彼らが守っているのは、 法的責任であって、道義的責任ではないのだ。

 これはまた企業の経営者にしても同じことで、特に企業の経営者の場合、最近では自分で会社を起した経営者はほとんどなく、サラリーマンとして会社に入 り、長年部品として会社のために働き、経営者という部品の座についた者がほとんどで、だから社長といっても社長という部品の意識しかないわけだ。

 この部品の感覚は、現代ではほとんど子供のころから養われているともいえる。子供は両親の部品で、塾に通い、良い中学に入り、良い高校、良い大学を出て、大企業や官庁の良き部品になる。

 考えてみれば、今度の防衛庁の背任事件にしても、また大蔵省の天下りの問題にしても、部品としての人生という習性を身につけてしまったものが、停年というものを迎えたときに、再びどこかに部品として定着せずにはいられない、という憐れな願望の表れなのかも知れない。

 それがもし、歴代続いて彼らの先輩が部品としてやって来たことであれば、それは彼らの意識としては当然のことで、部品としての彼らの良心を何ら傷つけることではなかったかも知れない。

 部品としては前の者のやっていたことは当り前のこととして何の価値判断もなくそのまま受けつぐ、これは当り前のことなのだ。

*      *      *

 私は、つい最近、テレビのドキュメンタリー番組で、戦後捕虜としてソビエトに抑留され、ながい抑留生活の間、やがて来るダモイ(帰国) を信じ、友を励ましながら、遂にダモイを迎えることなく死んでいった主人公の人物と、彼の遺言をそれぞれに分担して暗記し、彼の死後2年たってやっと訪れ た帰国の後、それぞれに彼の遺族のもとを訪れ、その遺言を約束通り遺族に報告した六人の友人の話を、最近にない感動をもって見る機会があった。

 バルチック海に向うと思っていた列車に乗って、まるで反対のシベリアの奥地に連れて行かれ、零下50度を越す寒さのなかで強制労働の毎日を送りながら、 お互いにダモイの日を信じて励ましあい、多くの友が死んでいくなかで生き抜いて来た友情と、その友情に対する責任とが見るものの心を強くうつ番組だったと 思う。

 主人公は、大のロシア好きで、外国語学校でロシア語を勉強し、そのために一時特務機関に在籍したために、他の一般捕虜たちに帰国を許された後も、なお数 年の間捕虜としてシベリアでの毎日を過したわけだが、それでもロシアを憎まず、祖国を憎まず、ダモイを信じて周囲の友人たちを励まして来たという。

 六人の友人たちが彼の遺書を暗記したのは、日本語で書かれた紙を持っていればスパイではないかと疑われたからで、彼らは主人公が友人にいわれて死の間際 に書いた遺書を6つにわけ、それを主人公の死後2年の間、片時も忘れないようにと暗記して来たためだという。帰国後、その六人の友人は、それぞれにそれぞ れの形で主人公の遺族に、その遺書を報告するのであるが、その遺書を遺族に報告したとき、始めて彼らはその責任を果すことによって、本当に帰国することが 出来たという実感を持ったというが、その気持もよく分るような気がする。

 この遺書は前文と、彼の両親、彼の妻、そして彼の息子たちに向けてのものとの、4つに分れているが、なかでも、その子供たちに与えた遺書は、心に残るものであった。

 彼はそのなかで、何ひとつ自れの不幸を訴えることもなく、反対に祖国である日本の民族を信じ、日本の民族こそは真に東洋の文明と西欧の文明を結合し、よ り高めることの出来る民族だと息子たちに教え、最後に、道義を忘れることなく、まごころをもって生きよ、とその遺書を結んでいる。

 その遺書をきいたコメンテイターの1人が、この遺書はまるでいまのわれわれに向っていわれているようだ、とその感想を語っていたが、私も全く同じ印象だった。

 そして、それと同時に<あっ、われわれは何と彼らの精神と、遠く距ったところに来てしまったのか>、と感じたのも事実だ。戦後数十年という歳月が、いつの間にかわれわれの精神を、彼らとこんなにまで離れたところに導いてしまったのだ。

 考えてみれば、戦前までの私たちは、多かれ少なかれ、彼らと同じような精神をどこかで持っていたような気がする。人間として最も大事なもの、それを子供心にもわきまえていたような気がする。

 戦争が正しかった、正しくなかったというのではなく、祖国を信じ、友人を信じ、そのために人間らしく生きようとするまごころを、どこか心の隅に持って生きていたような気がする。

 金持ちとか、貧乏とかではなく、そうした人間としての生き方のなかに、人間としての幸福を、求めていたような気がする。

 番組中に主人公を中心に開かれた句会の話があったが、これも印象的だった。句会といっても捕虜生活中に、監視の眼をさけて、紙に句を書くこともならず、 砂の上に棒切れで句を書き、それを消してはまた書くという句会であったが、その句会を思い出しながら六人の友人の一人が、取材した記者に向って、

「たのしかったな」

 とぽつりといい、それから、そのときの遠い思い出をたぐるように、

「うん、たのしかった……。ほんとうに、たのしかった」

といった言葉に、私は何ともいえぬその愉しさの重さの、彼の心のなかに占める比重を感じとることが出来たような気がした。

 私は、むかし、ドフトエフスキーの「貧しき人々」という小説を読んで、その書き出しの一文に、強い感銘を受けたことがある。

「???さん、昨日、わたくしは幸福でした。本当に幸福でした……」

 と始まる、平凡な書き出しなのだが、その<昨日>という言葉のなかに、私はドフトエフスキーのいう貧しき人々の心が見事に描かれているのを感じたのだ。 この小説の主人公は退職した一人暮しの貧乏官吏の老人で、彼がいう幸福とは、彼がプラトニックにいつも心に思っている向いに住む女性が、昨日、その窓辺に 花を飾っていてくれた、というただそれだけのことで、それを主人公が「本当に幸福、昨日、本当に幸福でした」と思う心のなかに、私は貧しき人々でなければ 味わえないささやかな心の幸福が見事に描かれていると思ったのだ。

 抑留中に主人公の友人が句会で感じた「本当にたのしかった」という感慨と「貧しき人々」の主人公のいう「昨日、本当に幸福でした」という言葉とは、その 意味では同じ心の喜びを語っているのではないか。「貧しき人々」の主人公が「昨日」というとき、その昨日はその他の日々の苦しみや悲しみに培われた昨日な のだ。

 豊かな生活や、平和な暮しもよいが、そうした暮しに馴れ親しんでしまったものには、その反面、彼が「たのしかった、本当にたのしかった」といい、「貧し き人々」の主人公が「昨日、私は幸福でした。本当に幸福でした」というような、たのしさや幸福を感ずるような心とは、遠く距ってしまっているともいえる。

 彼らが幸せと思うそのことが、彼らの心を鈍らせ、その一方ではまごころからも道義心からもほど遠いものにしてしまっているのではないか。

*      *      *

 <はじ>という字を広辞林で見てみると、<恥>という字と<辱>という二つの字が書いてある。

 だが、この二つの字は、それぞれ多少その意味が異るように私には思える。

 この二つの文字のうち<辱>というのは侮辱だとか屈辱だとかいった言葉に見られるように、外から与えられた辱、あるいは、外に現れた辱、といった意味が強いのではあるまいか。

 それに対して、いま一つの<恥>、それはこの文字が示すように、人が自れ自身のなかで感ずる恥、つまり耳偏に心と書くように、心の耳で自れが感ずる恥のような気がする。だから、この恥を感ずるためには、まず何よりも心に対する耳がなくてはならぬ。

 だが、現代では果して、本当にそのような恥を感ずる心が、その心に傾ける耳があるのだろうか。

 たしかに、最近数年のさまざまな汚職、背任の数々は眼に余るものがあるといえる。

 かっては、政治不信という言葉で代表されていた不信は、いまでは政治家だけではなく、官僚や財界のすべてに対する不信、といった方がよいくらいだ。それだけではない、それはいまや、日本全国に蔓延しているといってもよいのではないか。

 私にはその蔓延の根源は、人間が本当に人間らしい人生を送ろうとしなくなったことにあるような気がしてならない。その意味ではいま日本の社会は<辱>に対する意識は非常に敏感であるが、<恥>に対する意識は、全く麻痺してしまっているのだ。

 政治家の汚職が問題となるたびによくいわれる、<道義的責任>とか<法的責任>とかいう言葉がそのよい例だ。大切なのは、いったい道義的責任なのか、法的責任なのか。

 私たちが戦後の経済の繁栄とともに失って来たものは、いったい何なのか。

 私たちは、いまこそいままで歩んで来たその歩みをとめて真に人間らしい生き方を、人間としての正しい生き方を考えるべきときにきているのではないか。

 もしもバブルの崩壊が、私たちが戦後歩んで来た経済の数十年の間に蓄積された滓(かす)の結果であるとしたら、それはまた私たちの精神の内部にも、いつか知らぬ間に空洞を造っているということも出来るのではないだろうか。

 文明がいつか知らぬ間に生み出して来たフロンガスが、オゾン層を蝕むように、戦後私たちが求めて来た豊かさが、いつか知らぬ間に私たちの心にぽっかりと 穴を明けるということがあるかも知れない。戦後、貧しさのなかから出発した私たちは、戦後経済の発展とともに、いつかその豊かさのなかで貧しさが持ってい た心を忘れてしまった、ということもあるだろう。

 道義を守って、まごころをもって生きる、ということは、むしろ貧しさのなかで行き抜く人間の勇気と、人間らしい行き方を示しているともいえるかも知れない。

 豊かになれば、だれでも人間はいつまでもその豊かさを保ちたいと思う。その豊かさを保つことだけが、幸福を保つということだと思うようにもなる。

 そのために現実に妥協し、真実から眼をそらすということにもなるわけだ。なあなあの関係をいつまでも維持したいと思い、その維持のために、いつか恥を知る心を失って行くのだ。

 そうした風潮は、果して政治家や、官僚だけだろうか。いや、それはいまや間違いなく日本の風土そのものになってしまっているのではないか。

 だがしかし、日本という国は、決して昔からそうだったわけではない。その意味で、いまの日本に求められることは、もう一度初心に帰るということだ。

 戦後のあの貧しさのなかにあった真実を見つめ直すということだ。貧しさを恐れず、恥を知る人間らしい心を持つということだ。

 真実を見、真実に挑む勇気がなければ、そこから人間らしい心が生れて来るわけがない。もとより心の声に傾ける耳などあろうはずもないのである。

1998年12月